境界の檻へ向かう――ガラテイア2.2(リチャード・パワーズ)

2014-07-15

まちゃひこ

 

言ってみればこんな話だが、本当はそうじゃない。

 

リチャード・パワーズの小説「ガラテイア2.2」の第1文は、このように始まる。

紹介しておいてこんな話をするのもなんなのだが、この小説は決して読みやすいものではなく、また、素朴におもしろいと言えるものではないかもしれない。ぼく自身、読む時期が違えば単なるパワーズの愚痴をねちねち聞かされているだけの印象しか残らなかったかもしれないし、そこまで複雑ではない事柄を、作中で書かれる「科学的試み」と混ぜ合わせることにより、いたずらに複雑化して書いているとも読めたかもしれない。しかし、読み始めてすぐに現れるひとつの文章が、強く頭に残っている:

 

僕はこの街で最愛の物理学を裏切り、文学と寝た。

 

この文章じたい特別優れたものでもない、と頭で思う。しかし、なぜ物理学と文学のどちらか一方を選んでしまったのか、選ぶことによりなぜ他方を裏切ることになるのか。もちろん、両者には(もっとも安易なことばを使えば)そもそもの理系なり文系なりの大きな分野のギャップがあるし、分野の更に下層にはより細かな分野が多数ある。理系には工学部があり、工学部には機械工学科があり、機械工学のなかには熱力学があり、熱力学のなかにも多数の研究分野がある。研究する、ないし思考する、という行為のひたすらな細分化は、なにかを選ぶ、という行為を強制し、選ぶことは選ばないことにもまた等しい。無数の境界で張られた檻のなかに、気がつけば捕えられている。

1957年、スプートニクが打ち上げられた年に著者であるリチャード・パワーズは生まれ、かれは大学にいく頃まではじぶんが物理学者になるものだと思い込んでいたという。しかし、イリノイ大学在学中、物理学を学んでいたかれはじぶんが「境界の檻」に閉じ込められてしまう、という危機感を抱くようになる。分野の境界を飛び越える自由を求めかれは文転、同大学で文学の修士号を取得する。しかし、かれは文学という分野においてもまたしても「境界の檻」を感じ博士課程への進学を断念、プログラマーの職につく。そしてある日、美術館で見たアウグスト・ザンダーの写真を見てから48時間以内に退職し、その後2年をかけて処女作「舞踏会へ向かう三人の農夫たち」を書き上げた、という話がある。

リチャード・パワーズの作品全般にいえることといえば、やはり「境界」というものへの強い意識だと思われる。かれは科学、文学、歴史、音楽など多岐に渡る百科全書的な記述、同時進行する複数の時代の物語、独立してそこにあると思しきものを幾度となく横断し、(パワーズのことばを借りれば)対位法的に編み上げ、ひとつの巨大な構築物を作り上げていく。そして、この「ガラテイア2.2」もまた、その例外ではない。

 

「ガラテイア2.2」ではふたつの物語が、章を変え交互に作者の分身である主人公「リチャード・パワーズ」によって語られる。

ひとつは、ライター・イン・レジデンスとして大学に所属し、人工知能の研究者であるレンツ博士と共に、「文学の修士号を取得できる知性をもった人工知能」を作り上げるため、その機械に対しことばを教え、人工知能を教育する物語。もうひとつは、主人公リチャード・パワーズの過去から現在に渡る作家としての経歴や、自身の恋愛を交えた私小説的物語。とくにこの小説では、物語の舞台を何度も行き来するなかで、「読む」という行為と「書く」という行為の境界を何度も飛びこえることになる。激しい境界の往復が、その境界を壊し、「読む」でもなく「書く」でもない、小説、というものの新たな認知を(妙な言い回しではあるけれども)読者に与える。パワーズは本作に対し、こうコメントしている:

 

『ガラテイア』を書いていて楽しかったことの一つは、機械仕掛けの知性にも、人間と同じだけの幅広い経験が必要になる、ということが徐々に見えてきたことです。作品の最後にさしかかると、作品自体が、ある種の人工知能になってきます。作品に登場する「ガラテイア2.0」は、読者が読んでいた、改訂版の2.2にとってかわられます。読者がこのお話を信じるためには「どのようなフィクションも読むことのできる、神経細胞のようなネットワーク」が存在することをひとまず信じる必要がありますが、そういう判断保留を通して読者は、より大きなスケールで自己省察する機会を得ます。つまり、百科事典のように濃密な、自分自身の人生を通してでなければ、今読んだ本の意味など、決して分かるはずもなかった、ということがわかるようになるのです。自分の知性を独立した機械に移植したい、という欲望とは(ある意味でテクノロジーの歴史すべてがそういう欲望に置かされてきたと思いますが)、結局のところ、われわれがいかに自分自身の物語と葛藤状態にあるかを明らかにするファンタジーといえます。

『パワーズ・ブック』,みすず書房 より引用

 

作中でヘレンと名付けられた人工知能は、ことばでもって世界を認知する。そして小説読者もまた、小説作者もまた、紙面におちたことばでもってその世界を認知する。世界そのものの認知、という行為からみて「読む」「書く」という行為には大きな違いはない。「ガラテイア2.2」という小説は、この「読む」「書く」という境界の檻を取り払い、「世界認知」という原理的問題へと踏み込んだ小説なのかもしれない。

 

 

画像出典:https://goo.gl/YNHPmE

まちゃひこ 社会人

大学院工学研究科博士後期課程で単位取得中退のちんかす。 そのあと文系就職し、広告代理店営業。 ギター弾いたり、ショーセツを読んだり書いたりするのがすきです。 学生時代は熱力学とか統計力学とかしてました。 ブログはカプリスのかたちをしたアラベスク http://machahiko1205.hatenablog.com/

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